私たちは、大好きな人であればあるほど
「伝えなくても分かって欲しい!」という期待を
持ってしまうものなのかもしれません
自分が腹が立っている時。
イライラしている自分の様子から察して、優しい言葉をかけてもらいたい。
悲しいなって感じている時。
言葉にしなくても、「なにかあったの?」って声をかけてもらいたい。
気に入らないわって腹が立っている時。
遠回しにしている表現で、察して欲しい。
こんな風に思うことって、ありませんか??
いまでこそ随分と減りましたが、
私は、よく思っていましたね。
恋愛関係ではとくに、感じやすかったかもしれません。
自分の気持ちに気が付いてくれない彼に対して、
「私が言った後に気が付いたって遅いのよ!」
「なんで分からないのよ!」って腹が立ったり。
なんだか、彼に愛されていないように感じて悲しくなったり・・
そんなこんなを繰り返していた私は、
当時の彼から言われたことがあるんです。
「もうしわけないけど、俺は宇宙人じゃないから、
何がしてほしいか言ってくれないと分からないよ」って。
確かに・・・・。
宇宙人が、地球人の気持ちを察することが出来るのかどうかは
定かではありませんが(笑)
相手の表情から伝わることも、確かにあります。
日頃の行動から、察してあげることも出来るでしょう。
でも、相手の心を正確に読み取り、相手が望むように対応してあげることって、
なかなか難しいと思うんですね。
それは、誰かを察してあげることも、
逆に、自分を察してもらうことも同じだと思うんです。
だからこそ、
私たちは「言葉」というツールを使って、
「私はこう感じるの。あなたはどう思っているの?」って
コミュニケーションを取るようになったんだと思うんですね。
でもでも・・
そうは思っていても、心のどこかで
「自分の気持ちを察して欲しい」
「伝えなくても、分かって欲しい」という気持ちって、あったりしますよね。
察してもらえたら嬉しいよね、っていう気持ちは、
誰にもあると思うんですね。
でも当時の私は、
「察して欲しい」という気持ちが相当大きかったのでしょう。
彼の伝えてくれた「言葉」に対して、
「なんでそんなこと言うの!こんなに分かって欲しいのに・・」って、
分かってもらえない寂しさを感じていました。
当時の私のように
「察して欲しい!!」という気持ちが大きすぎるとき。
なかなか「言葉」でコミュニケーションをしてみよう、って思えないものかもしれません。
この「察して欲しい」という思いって、どこから来ているのでしょう?
減らしていくためには、どうしたらいいのか?
また「言葉で想いを伝える大切さ」について、次回書いてみたいと思います